行政情報

御殿場と世界遺産富士山

Q.御殿場市の構成資産は?

A.世界文化遺産に登録された富士山とは、大きく分けると「富士山山域」と「周辺の構成資産」の2つに分類されます。「周辺の構成資産」とは、例えば富士宮の富士山本宮浅間大社のように富士山の山体から離れた場所に存在する構成資産を指します。御殿場市域で世界文化遺産の登録範囲に該当するのは「富士山山域」と「山体に含まれる須山口登山道(2合8勺以上は現在の御殿場口登山道)」となります。残念ながら、市街地や市街地に近い構成資産は存在しません。

Q.御殿場市の構成資産はどうやって決めたの?

A.富士山の世界遺産登録を推進するにあたり、静岡・山梨両県は、構成資産候補の対象を富士講など信仰が顕著に見られる江戸時代以前のものに限定しました。そのため、明治16年(1883)に開削された御殿場口登山道や御殿場口登山道ゆかりの神社等は当初から構成資産候補に入りませんでした。

また、当初は構成資産候補として調査・研究が進められていた国指定天然記念物「駒門風穴」と国指定天然記念物「印野の熔岩隧道(ようがんずいどう)(字古印野(こいんの)指定地)」については、構成資産候補の見直しによって惜しくも除外されてしまいました。

駒門風穴と印野の熔岩隧道は、どちらも富士山の火山活動によって形成された富士山の一部と言っても過言ではないものであり、各々「かざあな」「おたいない」の名で市民に親しまれている、しかも既に国指定天然記念物の指定を受けている御殿場市が誇る構成資産候補でした。 しかし、構成資産候補の見直し作業に際して、駒門風穴は「富士山の信仰や芸術との関係性が証明できない」として構成資産候補から除外されてしまいました。また、御胎内として知られる印野の熔岩隧道(字古印野指定地)は「村山(むらやま)修験や富士講との密接な関係は認められるが、富士山の山域を取り囲む形で設定する緩衝地帯の中に含めることができない」として構成資産候補から除外されてしまいました。

Q.御殿場市は富士山の信仰とは関係がないの?

A.富士山を目指した人々が歩いた道は、現代のように富士山体の登山道だけではありません。登山口へ至る道中も人々は歩いて移動していました。御厨(みくりや)と呼ばれた当地方や足柄平野の村々の人や物の流れを支える背骨であった「矢倉沢(やぐらさわ)通」という街道は、御殿場市域でいくつかの街道と合流(分岐)しており、御殿場は、富士山の信仰を広めた富士御師(おし)や富士道者(どうじゃ)と呼ばれた登山者が往来するジャンクションでした。

また、当時の物流や人の移動を担った馬と御殿場の関係は非常に深く、駄馬(だば)業は重要な収入源でした。馬頭観音の信仰が厚いのは、馬と人が身近で密接な存在であったからでしょう。

近代(明治時代)に入ると、御殿場口登山道開削により御殿場は富士登山の一大拠点となりました。文明開化の時代に開削された御殿場口ではありますが、「神聖な富士山に登る登山道の基点には浅間神社が鎮座しているべきである」として当初の起点であった西田中八幡宮には、登山道開通に合わせて二岡(にのおか)神社境内の浅間神社を合祀し、富士山東表口下宮浅間神社としました。東海道線開通、御殿場駅開設後は、この役目を御殿場駅に程近い新橋(にいはし)浅間神社が担うようになりました。御殿場口登山道の出発点となった新橋浅間神社には、東京の一心講(富士講の一派)など市内外の人々が寄進した玉垣や登山記念の石碑が多数見られ、新橋浅間神社が御殿場口の出発点として信仰を集めていたことを今に伝えています。

このように、御殿場市にも、富士山と信仰を語る上で忘れてはならない潜在的な構成資産があるのです。

世界遺産富士山御殿場パンフレット

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